温故学会の一事業として、授業を開始したのは昭和5年4月であった。斎藤茂三郎が院長となり、同6年に東京府から認可された。
女学院は、創立以来生徒が増加したので構内に校舎を新築し、さらに同16年には現在の区立広尾中学校の土地800坪を内藤久寛氏が、校舎を渋沢敬三子爵がそれぞれ寄贈する相談が整っていたが、空襲のため手続きが遅れ、終戦を迎えて自然消滅してしまった。
なお、昭和20年5月の空襲によって校舎はすべて灰燼に帰し、生徒も疎開などによって減少したため、22年3月の繰上げ卒業を最後に17年間の経営に終止符をうった。
講師には、国学院大学の武田祐吉、河野省三博士などをむかえ「女子の徳性を涵養し、裁縫・手芸その他女子に須要適切なる知識技能を授くるをもって目的とす」とした。
<女学院概要>
前列右より岡沢貞子(洋裁)、佐藤謙三(国語)小森嘉一(歴史)、清水隆次(杖道)、堀江秀雄(国語)、斎藤茂三郎(院長)、中野佐柿(神典)、押田徳子(お花)、宮田功徳(科学)
写真提供:槙峠(川崎)タツエさん(後列左より4人目)